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幕末期に渡来した植物の図譜:新渡花葉図譜

  • 執筆者の写真:  JBC
    JBC
  • 2024年6月20日
  • 読了時間: 6分

更新日:1月27日

『新渡花葉図譜』は、江戸時代末期から明治初期にかけて、尾張藩士・渡辺又日菴によって描かれた植物図譜です。原本は天保12年(1841年)頃から明治3年(1870年)にかけて作成されたと推定され、 乾・坤2冊の構成で、幕末期に日本へ渡来した外来植物を中心に130種以上が収録されています。 国立国会図書館に所蔵されている『新渡花葉図譜』は、大正3年(1914年)に伊藤圭介の孫である伊藤篤太郎が、母の小春(圭介の五女)に依頼して転写させた写本です。  篤太郎の母・小春は画才に恵まれており、原本を忠実に再現した写本を作成しました。 この写本は、縦26.2cm×横18.7cmの袋綴じ本で、手書きで枠を引いた和紙が用いられています。 乾巻は天保末年〜元治元年(1864年)に、坤巻は元治元年〜明治3年(1870年)にかけて作成されたと推定され、ほぼ年代順に植物が配列されています。   


『新渡花葉図譜』は、他の同時代の植物図譜とは異なり、新たに日本に持ち込まれた植物に焦点を当てている点で独自性があります。 例えば、旗本馬場大助が残した『遠西舶上画譜』(東京国立博物館蔵)や『群英類聚譜』(杏雨書屋蔵)といった図譜も幕末期渡来植物を扱っていますが、『新渡花葉図譜』は植物の起源や渡来時期に関する詳細な情報も併せて記録している点が特徴です。   




作成の背景と目的


江戸時代、日本は鎖国政策を維持していましたが、長崎の出島を通じて西洋との交易は限定的に行われていました。 この交易を通じて、薬用植物や観賞用植物など、様々な植物が海外から日本へもたらされました。 特に天保年間(1830~43年)頃からは、オランダ船によって持ち込まれる植物の種類が目立つようになり、 安政6年(1859年)の開港後は、その数が激増しました。  万延元年(1860年)の遣米使節や文久2年(1862年)の遣欧使節も、数百種類もの植物の種子を持ち帰っています。   


このような背景のもと、渡辺又日菴は、当時日本に渡来した新しい植物を記録するために『新渡花葉図譜』を作成しました。 当時の日本では、本草学に基づいた植物研究が盛んに行われており、新しい植物の形態や特徴を正確に記録することは、学術的な意義だけでなく、園芸や農業の発展にも貢献するものでした。   




作者について


『新渡花葉図譜』の作者である渡辺又日菴は、尾張藩の家老を務めた人物です。 名は規綱(のりつな)といい、1792年に生まれ、1871年に亡くなりました。 又日菴は、植物学に深い関心を持ち、自ら植物を栽培し、観察記録を残していました。   




収録されている植物の種類と特徴


渡辺又日菴の植物学への関心は、新しい外来植物の記録へと繋がりました。 『新渡花葉図譜』には、幕末期に日本へ渡来した様々な植物が収録されています。 その多くは、観賞用として導入された外来園芸植物です。 例えば、グラジオラス(ナガルボーム)、アメリカナデシコ(ヱイケンラシヤ)、サンジソウ(メリケン柳草)、モミジアオイ(亜米利加産芙蓉)、ゼラニウム(天竺蜀葵)、ヒアシンス(フシヤシントウ)など、36品もの植物が本書に初出として記録されています。 これらの植物は、遣米使節や遣欧使節が持ち帰ったものとは異なるルートで渡来したと考えられており、 当時の植物の伝播経路を知る上で貴重な資料となっています。   


『新渡花葉図譜』に収録されている植物の例を、以下に示します。

植物名

特徴

渡来に関する情報

グラジオラス(ナガルボーム)

アヤメ科の多年草。赤、黄、紫など様々な色の花を咲かせる。

オランダ船によりもたらされた。

アメリカナデシコ(ヱイケンラシヤ)

ナデシコ科の多年草。花弁の先が細かく切れ込んでいるのが特徴。

アメリカから渡来した。

サンジソウ(メリケン柳草)

スベリヒユ科の多年草。葉は多肉質で、ピンク色の小さな花を咲かせる。

アメリカから渡来した。

モミジアオイ(亜米利加産芙蓉)

アオイ科の多年草。葉がモミジのように深く切れ込んでいる。赤い大きな花を咲かせる。

アメリカから渡来した。

ゼラニウム(天竺蜀葵)

フウロソウ科の多年草。様々な色の花を咲かせ、芳香を持つ品種も多い。

インドから渡来した。

ヒアシンス(フシヤシントウ)

キジカクシ科の多年草。香りが強く、様々な色の花を咲かせる。

ヨーロッパから渡来した。

   


図譜の特徴


『新渡花葉図譜』の図譜は、写実性と彩色に優れている点が特徴です。 渡辺又日菴は、植物の形態を正確に描写することに努め、花や葉の細部まで丁寧に描き込んでいます。 また、彩色は鮮やかで、植物の色彩を忠実に再現しています。 写本であるため、原本の図譜がどのような画材を用いていたのかは不明ですが、写本の図譜を見る限り、当時の一般的な植物図譜と同様に、墨や顔料を用いて描かれていたと考えられます。 これらの特徴から、『新渡花葉図譜』は、植物学的な資料としての価値だけでなく、美術的な価値も高い作品といえます。   




植物学や文化史における意義

『新渡花葉図譜』は、幕末期に日本へ渡来した植物を記録した貴重な資料であり、植物学や文化史において重要な意義を持っています。   


植物学における意義


  • 渡来植物の記録:『新渡花葉図譜』は、幕末期に日本へ渡来した植物の形態や特徴、渡来年などを記録した貴重な資料です。 当時の植物相や植物の伝播経路を研究する上で、重要な情報源となっています。例えば、磯野直秀氏の論文「『新渡花葉図譜』:幕末渡来植物の一資料」では、本書を参考に、幕末期における植物の渡来状況や当時の植物学研究について考察しています。   

  • 植物学の発展への貢献:『新渡花葉図譜』に収録されている植物の中には、当時日本に初めて紹介されたものも多く含まれています。 これらの植物は、日本の植物学の発展に大きく貢献しました。   


文化史における意義


  • 幕末期の園芸文化:『新渡花葉図譜』は、幕末期の園芸文化を反映した資料でもあります。当時の人々がどのような植物に関心を持ち、どのように栽培していたのかを知る手がかりとなります。   

  • 日欧文化交流:『新渡花葉図譜』に収録されている外来植物は、日欧文化交流の証でもあります。 鎖国下の日本においても、西洋文化が流入し、人々の生活に影響を与えていたことがわかります。   



結論

『新渡花葉図譜』は、幕末期に日本へ渡来した植物を記録した貴重な資料です。写実性と彩色に優れた図譜は、植物学的な資料としての価値だけでなく、美術的な価値も高いものです。 また、当時の植物相や園芸文化を知る上でも重要な資料であり、植物学や文化史の発展に大きく貢献しています。特に、鎖国から開国へと移り変わる激動の時代において、海外から新しい植物が次々と日本へもたらされ、人々の生活や文化に影響を与えていった様子を、『新渡花葉図譜』は鮮やかに描き出しています。   





渡邉又日庵 撰『新渡花葉圖譜』,伊藤小春写,1914. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2607706





渡邉又日庵 撰『新渡花葉圖譜』,伊藤小春写,1914. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2607706






参考


『新渡花葉図譜』--幕末渡来植物の一資料 - CiNii Research


『新渡花葉図譜』:幕末渡来植物の一資料 - 国立国会図書館デジタルコレクション



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