文政10年(1827)に刊行された秋里籠島の『石組園生八重垣伝』には、34種の垣根の図があります。
秋里籠島とは、安永~文政期(1772~1830)に名所図会の編著者として知られており、随筆、紀行文などの他、読本の著作もあり、稀に自ら挿絵も描いています。安永9年(1780年)刊行の『都名所図会』(竹原春朝斎画)が代表作として著名であり、他に文化2年(1805年)刊行の自画作による地誌本『唐土名所談』が知られています。
『都名所図会』が人気がでたことで画工を連れて諸国を回り、数十種類に及ぶ名所図会を編纂し、名所図会の流行を作ったほか、俳書や辞書、作庭書など約40冊の著書があります。
庭垣の版本としてはこの『石組園生八重垣伝』がその最初のもので、その写本として文化7年(1810)の奥書のある尾張藩の尾張内庫図書の蔵書『藩籠譜』が現時点では最も古い垣根譜です。 その『藩籠譜』の奥書に「庭垣図集 天 上巻百品終 文化七年庚午暮秋 四代植木屋楠田右平次」とあり、この図譜が文化7年(1810)に楠田右平次という植木職人によって集成されたことがわかります。
職人の内部資料であるこの藩籠譜には複数の写本(本書・百垣之図 天.地,人)が伝わっており、当時においても貴重なものであったことが窺えます。 そこに描かれた多種の垣根は江戸後期の庭園文化の展開の一端を実証するものとして重要な資料といえます。
※ 以下、百垣之図 人のみ
『百垣之図』[1],写. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2551736