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花咲く江戸の名所巡り:二代目歌川広重「三十六花撰」の世界

  • 執筆者の写真:  JBC
    JBC
  • 2023年7月26日
  • 読了時間: 4分

更新日:1月12日



歌川広重は、幕末から明治初期にかけて活躍した浮世絵師であり、風景画の名手として広く知られています。初代広重は「東海道五十三次」や「名所江戸百景」などの風景画で名声を博し、その叙情的な画風は、後のヨーロッパの印象派の画家たちにも大きな影響を与えました。初代広重の没後、その門人であった重宣が二代目広重を襲名し、師の画風を継承しつつ、独自の画境を開拓しました。


本稿では、二代目歌川広重の花鳥画作品「三十六花撰」を取り上げ、その特徴と魅力について考察します。




歌川広重について


初代歌川広重


歌川広重(初代)は、寛政9年(1797年)に江戸八代洲河岸の安藤家に生まれ、文化8年(1811年)に歌川豊広に入門しました 。初代広重は、師匠のもとで本の挿絵や役者絵、武者絵、美人画などの錦絵を描いていましたが、名所絵を描かなかったこともあり、なかなかその真価を発揮できず、活躍できていませんでした 。文政元年(1818年)に風景画に転向し、以降は風景画の名手として活躍しました。 代表作には、「東海道五十三次」、「名所江戸百景」などがあり、葛飾北斎の風景画にはない、風景の中に必ず人物を描くという特徴があります。 例えば「東海道五十三次 箱根 湖水図」では、険しい峰に笠をかぶった旅人が描かれています。 また、街道の風景に旅人や比丘尼、客引きの留女、伊勢参りの旅人など、旅で出会う人々の姿を活き活きと描き入れました。 その叙情的な画風は、ゴッホやモネなどの印象派の画家たちにも影響を与えました。安政5年(1858年)に没しました。   



二代目歌川広重


二代目歌川広重(重宣)は、文政9年(1826年)に生まれ、初代広重の門人となりました 。初代の画風を継承し、風景画や美人画を多く描きました。慶応元年(1865年)頃には師家を出て喜斎立祥と名乗り、横浜絵や輸出用茶箱に添付する版画も手掛けました 。明治2年(1869年)に没しました。   



「三十六花撰」について


「三十六花撰」は、二代目歌川広重が慶応2年(1866年)に制作した花鳥画の揃物です 。本作品は、江戸近郊の名所を背景に、四季折々の花々を描いたもので、全36図からなります。


江戸が東京に改称される以前に制作された作品であり、「東京名所三十六花撰」という別名を持つことから、時代の変遷を示す作品としても興味深いです。各図に描かれた花と名所は、当時の江戸の人々にとって馴染み深いものであったと考えられます。例えば、「東都小金井桜」では、小金井橋を中心とする玉川上水の桜並木が描かれていますが、この桜並木は、武蔵野新田の開発が行われた元文2年(1737年)頃に、吉野(奈良県)や桜川(茨城県)から山桜の名品種を取り寄せ、玉川上水堤の両岸約6kmに植えたもので、18世紀の終わり頃から江戸近郊有数の花見の名所として知られていました。 

また、「東都亀井戸天神藤」では、亀戸天神の藤の花が描かれていますが、亀戸天神は、学問の神様として知られる菅原道真を祀る神社であり、藤の名所としても有名でした。 このように、「三十六花撰」は、花鳥画としての美しさだけでなく、江戸時代の風俗や文化を伝える貴重な資料としても価値が高いと言えるでしょう。     


   

二代目歌川広重の他の花鳥画作品との比較


二代目歌川広重は、「三十六花撰」以外にも、花鳥画を題材とした作品をいくつか残しています。 これらの作品と「三十六花撰」を比較することで、二代目広重の画風の特色をより深く理解することができます。例えば、「名所江戸百景」の中にも二代目広重の作品が含まれており、「赤坂桐畑雨中夕けい」や「びくにはし雪中」など、花鳥画的な要素を含む風景画が見られます。 これらの作品と「三十六花撰」を比較すると、風景画では、自然の風景の中に花や鳥を自然に溶け込ませるように描いているのに対し、「三十六花撰」では、花々をより大きく、画面の中心に配置することで、花そのものの美しさを強調している点が異なります。また、色彩の表現においても、風景画では、淡い色彩を用いて、 atmospheric な雰囲気を表現しているのに対し、「三十六花撰」では、鮮やかな色彩を用いて、花々の華やかさを表現している点が異なります。   



本稿では、二代目歌川広重の「三十六花撰」について考察しました。「三十六花撰」は、江戸近郊の名所を背景に、四季折々の花々を描いた作品であり、二代目広重の繊細な筆致と色彩感覚が光る作品であると言えるでしょう。本作品は、花鳥画としての美しさだけでなく、江戸時代の風俗や文化を伝える貴重な資料としても価値が高いです。


二代目広重は、初代広重の画風を継承しつつ、独自の画境を開拓しました。風景画では、自然の中に花や鳥を溶け込ませるように描き、花鳥画では、花そのものの美しさを強調するなど、画題によって表現方法を変化させています。 このように、二代目広重は、師の教えを活かしながらも、独自の表現を追求することで、新たな芸術を生み出したと言えるでしょう。   



※国立国会図書館デジタルコレクションから引用していますが、本来は三十六種ですが、三十一種が収蔵されています。





『三十六花撰』. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1307482


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