スミレ(菫)という名は、日本においてスミレ属(Viola)の植物全般を指す総称として広く用いられています。しかし、厳密には、日本原産の多年草であるViola mandshurica という特定の種を指す名称でもあります。このViola mandshuricaはニホンスミレとも呼ばれ、濃い紫色の美しい花を咲かせることで知られています。スミレ科(Violaceae)に属するスミレ属は、世界中の温帯地域に約400種が存在し、そのうち約50種が日本に自生しているとされています。日本の狭い国土にもかかわらず、これほど多様な種が見られることから、日本は「スミレ王国」と評されることもあります。古くから日本の人々に親しまれてきたスミレは、その可憐な姿で文化や生態系においても重要な役割を果たしています。

スミレの形態的特徴
スミレ属の植物は一般的に多年生の草本であり、多くの日本の種は高さが5〜20cm程度に成長します。
花の構造
スミレの花は通常、左右対称の5枚の花びらで構成されています。花の後ろ側には、蜜を蓄える距(きょ)と呼ばれる突起が存在します。Viola mandshuricaの花の大きさは直径1〜2cm程度であり、花の色は濃い紫色のほか、薄紫色、ピンク色、白色、黄色など多岐にわたります。これらの色彩の多様性は、種や品種を識別する上で重要な特徴となります。また、スミレの花は、うつむくように咲く姿が印象的です。距の形状は、種によって異なるため、識別ポイントの一つとなります。
葉の形態
スミレの葉の形状は非常に多様で、ハート型、披針形、長楕円形、三角形、丸型などがあります。Viola mandshuricaの葉は長さ2〜9cm程度の細長い三角形をしています。葉の表面や裏面に毛の有無、葉の裏側の色の違い(例えば紫色を帯びるなど)も、種を特定する手がかりとなります。さらに、一部の種では葉柄に翼と呼ばれるひれ状の構造が見られます。葉の形状は、類似したスミレを見分ける際の重要なチェックポイントとなります。
植物全体の形態
スミレ属の植物は、地上茎の有無によって大きく無茎種と有茎種に分けられます。無茎種では、葉と花が地下の根茎から直接生えているように見えます。一方、有茎種は地上に茎が伸び、その茎の途中から葉や花がつきます。地下茎は、株を増やすための繁殖器官としても機能します。また、一部の種では、走出枝と呼ばれる地上を這う茎を伸ばして分布域を広げます。
スミレの種類と多様性
スミレ属は非常に大きな属であり、日本には約50種の野生種が存在するとされています。さらに、多くの品種や雑種も知られています。
日本の主なスミレとその特徴
種名(和名) | 学名 | 花の色 | 葉の形状 | 茎の有無 | 主な特徴 | 日本での主な生息地 |
スミレ | Viola mandshurica | 濃い紫 | 細長い | 無茎種 | 葉柄に翼があり、側弁に白い毛がある | 公園、道端、明るい山野 |
タチツボスミレ | Viola grypoceras | 淡い紫 | 丸っこいハート型 | 有茎種 | 花後に茎が立ち上がり、日本全国に広く分布 | 草地から森林まで |
コスミレ | Viola japonica | 淡い紫、まれに白 | 卵形または長めの三角形で先端が尖る | 無茎種 | 全体的に毛がなく、明るい日陰を好む | 低山や明るい林の中、道端など |
アオイスミレ | Viola hondoensis | 淡い紫 | 丸みを帯びたスペード型で毛がある | 有茎種 | 花期が最も早く、葉の上に花をつける | 沢沿いのやや湿った林 |
オオバキスミレ | Viola brevistipulata | 明るい黄色 | 大きなスペード型 | 有茎種 | 花が黄色い | 日当たりの良い森の中や山野 |
ヒメスミレ | Viola inconspicua subsp. nagasakiensis | 濃い紫 | 細長く、裏側が紫色 | 無茎種 | スミレより小さい | 明るい草地や道端 |
ノジスミレ | Viola yedoensis | やや濃い紫 | 細長く、先端が尖り、白い毛がある | 無茎種 | 花が少しよじれて咲き、香りがある | 明るい草地や道端 |
マルバスミレ | Viola keiskei | 白、まれに薄いピンク | 卵型またはハート型 | 無茎種 | 森に近い草地や道端 | |
エイザンスミレ | Viola eizanensis | 白色からわずかにピンク色 | 深く切れ込んだ鳥の足状 | 無茎種 | 葉の形が特徴的 | 湿気のある半陰地の樹林下 |
ニオイスミレ | Viola odorata | 濃い紫、中心部は白色 | 丸っこいハート型 | 有茎種 | 甘い香りがある | 乾燥した草地や道端 |
ツボスミレ(ニョイスミレ) | Viola verecunda | 白く、紫色の模様 | ハート型 | 有茎種 | 花が小さい | 湿地などやや湿った環境 |
アリアケスミレ | Viola betonicifolia var. albescens | 白地に赤紫色の筋 | 長三角状披心形 | 無茎種 | スミレよりやや遅れて開花 | 日当たりのよいやや湿った場所 |
ナガバノスミレサイシン | Viola yedoensis var. pseudojaponica / Viola nagasimensis | うすい紫、まれに白 | 細長く、先端が尖り、葉の裏側がうすい紫色 | 有茎種 | 森の中などやや薄暗い環境 |
海外のスミレ
日本国外にも多様なスミレが存在します。例えば、アメリカスミレサイシンは、白地に薄紫色の斑が入るものや、白い花を咲かせるものがあります。キバナノコマノツメは、その名の通り黄色い花を咲かせます。園芸品種としては、パンジーやビオラ(Viola × wittrockiana, Viola cornuta)が非常に人気があり、花の色や形が豊富です。
地理的分布と生息環境
日本国内の分布
スミレは、北海道から九州まで日本列島に広く分布しており、都市部から山間部まで、日当たりの良い土手や野原、道路沿いなど様々な場所で見られます。タチツボスミレも北海道から琉球列島まで、海岸から亜高山帯まで広く分布しています。コスミレは、北海道南部から九州にかけて分布し、日当たりの良い場所を好みます。アオイスミレは、北海道から宮崎県にかけての沢沿いのやや湿った林などに分布しています。地域によって特有の種も存在し、例えばサンインスミレサイシンは山陰地方に多く見られます。
海外の分布
Viola mandshuricaは、東アジアに広く分布しており、中国、朝鮮半島、ロシア極東地域にも見られます。ニオイスミレは、ユーラシア大陸と北西アフリカが原産ですが、香りの良さから世界各地に導入されています。アメリカスミレサイシン(Viola sororia)は、北アメリカ東部から中部にかけて分布しています。キバナノコマノツメ(Viola biflora)は、北半球に広く分布し、特に山岳地帯に多く見られます。
生息環境
スミレ属の植物は、日当たりの良い草原や道端から、日陰の多い森林まで、様々な環境に適応しています。都市部のコンクリートの隙間などに自生することもあります。種によって好む土壌の種類や水分量も異なり、例えばツボスミレはやや湿った環境を好みます。
スミレの利用方法
食用
スミレは食用としても利用され、若葉、つぼみ、花を食用とします。採取時期は、暖地で4〜5月、寒冷地で5〜6月頃とされます。葉はアクが少なく、茹でておひたしや和え物、酢の物にしたり、細かく刻んでスミレ飯にしたり、天ぷらやサラダにも利用できます。花は、サラダの彩りや砂糖漬け、寒天寄せ、花酒などに使われます。スミレの花の砂糖漬けは、古くから親しまれてきたお菓子です。ただし、パンジーやニオイスミレなど有毒な種や部位もあるため、注意が必要です。特にニオイスミレの種と根には毒が含まれています。
薬用
スミレには薬効もあるとされ、利尿作用や血圧降下作用があるとされています。新鮮な葉を揉んで傷口や腫れ物に貼ると、解毒や腫れを抑える効果があるとも言われています。ヨーロッパでは、ニオイスミレがハーブとして利用され、咳止めや呼吸器系の疾患、不眠症などに効果があるとされています。サンシキスミレも同様に薬用に使われます。
観賞用
スミレはその愛らしい花姿から、観賞用として広く栽培されています。パンジーやビオラなど、多くの園芸品種があり、花の色や形が豊富です。切り花やフラワーアレンジメントにも利用されます。香りの良いニオイスミレは特に人気があります。ビオラ・ラブラドリカ(ミヤビスミレ)は、グランドカバーとしても利用されます。
スミレの文化的意味合い
日本の文化と歴史におけるスミレ
スミレは、奈良時代から日本で親しまれてきた花であり、『万葉集』にもその姿が詠まれています。平安時代には、貴族の間でスミレを題材とした和歌が多く詠まれました。スミレの色である菫色は、平安時代には装束の色目としても用いられていました。スミレという名前の由来は、大工道具の「墨入れ(すみいれ)」に花の距の形が似ているという説が有力です。明治時代には、与謝野鉄幹らのロマン主義の詩人たちがスミレをよく詠み、「星菫派(せいきんは)」と呼ばれるようになりました。宝塚歌劇団の有名な歌「すみれの花咲くころ」にも歌われています。
短歌
山路来て何やらゆかしすみれ草 「のざらし紀行」 松尾芭蕉
当帰よりあはれは塚のすみれ草 「笈日記」 松尾芭蕉
骨拾ふ人にしたしき菫かな 「蕪村句集」 与謝蕪村
居りたる舟を上ればすみれ哉 「蕪村句集」 与謝蕪村
春の野に すみれ摘みにと 来し我れぞ 野をなつかしみ 一夜寝にける 山部赤人
山吹の 咲きたる野辺の つほすみれ この春の雨に 盛りなりけり 高田女王
茅花抜く 浅茅が原の つほすみれ 今盛りなり 我が恋ふらくは 大伴田村家大嬢
その他の文化における象徴
古代ギリシャでは、スミレは愛と豊穣の象徴とされています。中世ヨーロッパでは、薬用植物としてだけでなく、謙虚さや誠実さの象徴としても大切にされました。ヴィクトリア朝時代には、「花言葉」が流行し、スミレは謙虚さ、誠実さ、永遠の愛を意味する花として贈られました。キリスト教では、聖母マリアの謙遜と純粋さを象徴する花とされています。ナポレオン・ボナパルトはスミレを自身の象徴とし、春の復活と希望の象徴として用いました。また、古代ギリシャから、女性間のロマンチックな愛の象徴としても知られています。
スミレに関する最新情報
遺伝子研究
近年、DNA解析を用いたスミレ属の系統や種間関係に関する研究が進んでいます。日本の在来種や導入種を含む様々なスミレの遺伝子(matK領域、trnL-F領域、核ITS領域など)が解析され、系統樹が作成されています。これらの研究により、園芸品種のパンジーが日本のスミレ属とは遺伝的に大きく異なることや、導入種のニオイスミレがアオイスミレと遺伝的に近いことなどが明らかになっています。また、種内における遺伝的多様性や雑種形成に関する研究も行われています。
生態学的研究
スミレの種子散布機構に関する研究も進んでおり、アリが種子に付着したエライオソームという物質を求めて種子を運ぶ「アリ散布」という現象がよく知られています。これにより、スミレはより遠くまで分布を広げることができます。また、日本に帰化したアメリカスミレサイシンの分布拡大に関する研究も行われています。
園芸学的な進展
園芸分野では、花付きや花色の改良が進んだ新しい品種が開発されています(例:「よく咲くスミレ」)。また、一部の種では、秋にも開花する現象が観察されています(例:フイリゲンジスミレ)。

その他の最新の発見
霧ヶ峰では、新種の交雑種であるキリガミネスミレ(Viola × kirigaminensis)が発見されました。また、スミレをテーマにした絵本などの芸術作品も発表されています。
スミレとよく似た植物との見分け方
スミレ属の植物は種類が多く、互いに似た特徴を持つものも多いため、見分ける際にはいくつかのポイントに注目する必要があります。
識別ポイント
花の色と形、葉の形、大きさ、質感(毛の有無、裏側の色など)、地上茎の有無(無茎種か有茎種か)、葉柄の翼の有無、葉柄の基部にある托葉(たくよう)の形状(例えばタチツボスミレでは櫛の歯状)、側弁の毛の有無(例えばスミレにはあり、ノジスミレにはない)、香り(ニオイスミレなど)、距(きょ)の形などが重要な識別ポイントとなります。特に托葉の形態は、見落とされがちですが、種を特定する上で非常に有効な場合があります。
類似植物との比較
スミレ(Viola mandshurica)とよく似た植物としては、ノジスミレ(Viola yedoensis)、ヒメスミレ(Viola minor)、コスミレ(Viola japonica)などがあります。これらの種は、葉の形、葉柄の翼の有無、花の特徴などで区別できます。タチツボスミレ(Viola grypoceras)とアオイスミレ(Viola hondoensis)は、花の色、花びらの付き方、毛の有無で見分けることができます。タチツボスミレとツボスミレ(Viola verecunda)は、葉の形や花の色で区別可能です。エイザンスミレ(Viola eizanensis)は、独特の葉の形状から容易に識別できます。オオバキスミレ(Viola brevistipulata)は、黄色の花が特徴です。スミレサイシン(Viola vaginata)とその仲間は、葉の形や花の características で区別されます。
最後に
スミレ属の植物は、日本において多様な種と形態を持ち、その分布も全国に及んでいます。花や葉の形状、色、香りなど、種ごとに異なる特徴を持つスミレは、古くから日本の文化に深く根付き、人々に愛されてきました。食用や薬用としての利用も古くから行われ、現代では観賞用としても広く栽培されています。近年では、遺伝子解析や生態学的研究が進み、スミレ属の分類や生態に関する新たな知見が得られています。スミレとよく似た植物を見分けるには、花や葉の細かな特徴、茎の有無、托葉の形状などに注意深く観察することが重要です。このように、スミレは植物学的な興味深さだけでなく、文化的な意義も持つ魅力的な植物であり、今後もその多様性と利用に関する研究が継続されることが期待されます。