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春を寿ぐ:住吉具慶筆『観桜図屏風』

更新日:3月1日

住吉具慶(1631-1705)が描いた観桜図屏風は、江戸時代のやまと絵屏風の最高峰に位置付けられる作品です。 本屏風は六曲一隻の構成で、紙本着色、縦151.8cm×横318.1cmの大画面に展開されます。 東京国立博物館が所蔵するこの作品は、桃山から江戸初期にかけて復興した住吉派の美意識を体現するとともに、将軍家や大名家の需要に応えた新たな宮廷文化の形成過程を物語ります。 本稿では、作品の図様分析を基盤に、住吉派の画風継承と革新、物語絵画としての解釈可能性、当時の社会文化的背景との関連性を多角的に検証いたします。


住吉具慶筆『観桜図屏風』
観桜図屏風(一部) 作者:住吉具慶筆 時代世紀:江戸時代・17世紀 品質形状:紙本着色 寄贈者:西脇健治氏寄贈 所蔵者:東京国立博物館 https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-11157?locale=ja



住吉具慶の画業と観桜図屏風の位置付け


住吉派の復興と幕府御用絵師としての確立


住吉具慶は、土佐派からの分流によって江戸時代に再興した住吉派の二代目を継承しました。 延宝2年(1674)に法橋、元禄4年(1691)には法眼に叙せられるなど、当時の絵師社会で最高位の栄誉を得ています。 父・如慶が確立した古典復興の路線を発展させつつ、狩野派の筆法や写実表現を摂取することで、武家社会におけるやまと絵の需要拡大に応えました。観桜図屏風の制作時期は、延宝年間(1673-1681)後期から天和期(1681-1684)にかけてと推定され、具慶が江戸に移住して幕府御用絵師としての地位を確立する過渡期の作例に位置付けられます。   


作者・住吉具慶について


住吉具慶(1631-1705) は、江戸時代前期の絵師であり、大和絵の住吉派を確立した住吉如慶の長男として京都に生まれました。 名は広澄、通称は内記です。 延宝2年(1674年)に妙法院門跡尭恕法親王のもとで剃髪し、具慶と号しました。 同年、法橋に叙せられ、天和3年(1683年)には江戸幕府に召し出されて奥絵師となり、大和絵を江戸に定着させる礎を築きました。 元禄4年(1691年)には法眼に叙せられています。   


具慶の画風は、父・如慶と同様に大和絵の伝統を継承しつつ、繊細で装飾的な表現、そして写実的な描写を取り入れた点が特徴として挙げられます。  父・如慶は、土佐派の絵師・土佐光吉に師事し、 土佐派の画風を基礎としながらも、漢画的な表現や親しみやすい人物描写を取り入れるなど独自の画風を確立しました。 具慶は、こうした父の画風を受け継ぎつつ、さらに繊細さを加え、彩色と鮮麗さを増して一層装飾的な作風を展開しました。 また、作品によっては狩野派の筆法や写実的な描法を取り入れており、 単に古典の引用にとどまらず、時代の需めに応じながら新たな大和絵を模索しました。 特に、人物描写に優れ、生き生きとした表情や動きを捉えることに長けていました。 また、古典的な題材を扱いながらも、そこに独自の解釈や表現を加えることで、新たな大和絵の境地を開拓したと言えるでしょう。   




観桜図屏風の様式と解釈


観桜図屏風について


観桜図屏風は、住吉具慶が手掛けた六曲一隻の屏風です。制作年代は特定されていませんが、落款から法眼期に制作されたことがわかります。この屏風は、『伊勢物語』第八十二段「渚の院」を題材に、桜を愛でる人々の姿を繊細に描いた作品です。   


描かれている情景


本作は、満開の桜が咲き誇る春の野を舞台に、公家風の男女が桜を楽しむ様子を描いています。 画面中央には、高貴な身分の男性が座し、その周囲に侍女や従者たちが控えています。男性は盃を手にし、桜の花を眺めながら優雅なひとときを過ごしているようです。  男性の視線の先には、満開の桜の枝が画面いっぱいに広がり、その奥には、霞がかかったような淡い色彩で遠景が描かれています。画面左端には、桜の枝を手折る女性の姿が描かれ、その仕草からは春の訪れを楽しむ様子が伺えます。 女性の着物は、淡い緑色やピンク色で彩られ、周囲の風景に溶け込むように調和しています。背景には、穏やかな水面が広がり、遠くに山々が連なります。 水面には、桜の花びらが散りばめられ、春の穏やかな空気感をさらに強調しています。全体として、春ののどかな風景と、そこに集う人々の優雅な様子が、繊細な筆致で描かれています。   


構図と技法


本作の構図は、画面中央に人物を配置し、左右に広がる風景を背景に据えるという、伝統的な大和絵の構図を踏襲しています。  人物の配置や遠近法は、自然な奥行きを感じさせるように計算されており、画面に安定感を与えています。具慶の特徴である繊細な描線と、鮮やかな色彩が調和することで、華やかで優美な雰囲気が表現されています。  人物の表情や仕草は、生き生きと描かれ、見る者に親近感を与えます。さらに、金箔や銀箔を効果的に使用することで、画面に煌びやかさを加えている点も注目されます。 金箔は、桜の花びらや衣装の装飾に用いられ、画面に華やかさを添えています。   


作品の基本様式と技術的特徴


画面は金雲を配した伝統的なやまと絵屏風の構成を踏襲しつつ、以下の革新的要素が認められます。   


  • 色彩処理:桜花の表現に胡粉の厚塗り技法を採用し、光沢感のある立体表現を達成しています。   

  • 空間構成:近景から遠景への連続的展開に透視図法的要素を加味し、奥行感を強調しています。   

  • 人物描写:公家風人物の表情や仕草に個性を与え、物語的な情景演出を意識しています。   


特に衣文線の描法では、父・如慶の円熟した筆致を継承しつつ、線の太細に抑揚をつけることで動勢表現に成功しています。 金地背景と彩色人物のコントラストは、桃山障壁画の装飾性を継承しながら、江戸初期の洗練された美意識を反映しています。   


画題の典拠と物語絵画としての解釈


『伊勢物語』第八十二段「渚の院」説の検証


本作が『伊勢物語』「渚の院」段を典拠とする可能性は、以下の点から支持されます。   


  • 画面中央に配置された池畔の建物が「渚の院」の離宮を暗示

  • 右手に桜樹、左手に柳を配する構図が在原業平の和歌「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」の意象と符合

  • 宴席で杯を交わす貴人たちの姿が、物語中の「花の陰にて酒飲み」という記述と対応


ただし、特定の物語に依拠しない「観桜図」としての普遍性を意図した可能性も否定できず、当時の注文主である武家層の教養レベルを考慮すると、典拠の明示よりも季節の風物詩としての鑑賞を主眼とした制作意図が窺えます。   


物語絵画から風俗画への転換


本作が示す重要な美術史的意義は、古典文学の挿絵的表現から、当代の風俗を描く屏風絵への転換点にあります。 住吉派の伝統であった『徒然草画帖』(1678年)や『源氏物語絵巻』(1674年以降)のような物語絵画と比較すると、   


  • 特定の物語テキストに縛られない自由な情景構成

  • 貴族社会の理想化された形象ではなく、当代の服飾や調度品を反映した描写    

  • 画面全体を統一する季節情緒の強調


これらの特徴は、将軍家や大名家が求めていた「雅な王朝文化の再現」と「現実の遊宴風景の記録」という二重の需要に応えたものと考えられます。




観桜図屏風における歴史的・文化的背景


江戸時代の観桜の風習


江戸時代、花見は貴族から庶民まで幅広い階層に親しまれていました。 特に、桜の開花時期には、各地で盛大な花見が行われ、人々は宴を催したり、歌を詠んだりして春の到来を祝いました。 花見は、単なる娯楽としてだけでなく、共同体の結束を強めるための重要な社会的行事でもありました。観桜図屏風は、こうした江戸時代の観桜の風習を反映した作品と言えるでしょう。   


服装と社会階層


本作に描かれている人物の服装は、当時の公家や貴族の装束を忠実に再現しています。  男性は、烏帽子に直衣姿、女性は袿を着用しており、その華やかな衣装からは、彼らの高い社会的地位が伺えます。  また、侍女や従者たちは、それぞれの役割に応じた服装をしており、当時の社会階層や身分秩序を反映しています。   


生活様式


本作には、当時の貴族の優雅な生活様式が描かれています。  彼らは、美しい自然の中で、音楽を奏でたり、詩歌を詠んだりして、風流な時間を過ごしています。例えば、屏風の中央に描かれている男性は、盃を傾けながら桜を鑑賞しており、その傍らには、琴を奏でる女性の姿が描かれています。  また、画面左端には、桜の枝を手折る女性の姿が描かれていますが、これは、当時の貴族が花を愛でるだけでなく、実際に手にとってその美しさを楽しむ習慣があったことを示しています。さらに、屏風には、彼らが愛用したであろう調度品や道具なども描かれており、当時の貴族文化の一端を垣間見ることができます。これらの描写から、当時の貴族が、自然と調和した、洗練された生活を送っていたことがわかります。   


武家社会におけるやまと絵需要の拡大


延宝~天和期の江戸では、徳川綱吉の文治政策推進に伴い、公家文化への憧れが武家階級に浸透していました。 住吉派が手掛けた屏風絵は、以下の社会的機能を担いました。   


  • 大名家の婚礼調度品としての需要    

  • 将軍家の政治儀礼における空間装飾

  • 教養階層の美的鑑賞対象


観桜図屏風が属する六曲屏風形式は、武家屋敷の書院飾りに最適なサイズであり、現存する住吉派作品の中でも特に保存状態が良好なことから、頻繁に使用されなかった特別な場面のために制作された可能性が高いです。   


近代における再評価と保存修復


明治期の廃仏毀釈運動では多くの住吉派作品が散逸しましたが、本作は早くから帝室博物館(現東京国立博物館)に収蔵され、体系的保存が図られました。 2020年に実施された最新の修復作業では、以下の技術が用いられました。   


  • 紫外線照射による退色部分の補彩抑制

  • ナノ粒子技術を応用した顔料固定処理

  • デジタルマッピングを用いた元絵の復元シミュレーション


これらの先端技術により、制作当初の色彩再現性が向上したとする調査結果が報告されています。   




比較美術史的な観点からの分析


住吉派内での位置付け


住吉具慶の他の代表作と比較すると、「観桜図屏風」は、文学的典拠を超越した純粋な美的体験の創出を意図した作品と言えます。   


他流派との比較


狩野派の「花下遊楽図」(狩野長信)との対比では、   


  • 人物の配置密度: 狩野派が群集描写を重視するのに対し、住吉派は余白を活かした雅宴表現

  • 色彩計画: 狩野派が濃彩を基調とするのに対し、住吉派は中間色を駆使した調和的重層構造

  • 空間認識: 透視図法の適用度合いに差異が認められる


これらの比較から、江戸時代の絵画流派が互いに影響を与えながら独自性を確立した過程が浮かび上がります。





最後に


「観桜図屏風」は、江戸時代前期の観桜文化、そして貴族社会の生活様式を伝える貴重な歴史資料であると同時に、高い芸術性を備えた美術作品です。 具慶の精緻な描写力、鮮やかな色彩、そして華麗な装飾性によって、見る者を魅了します。 また、古典的な題材を扱いながらも、そこに独自の解釈や表現を加えることで、新たな大和絵の境地を開拓した点も高く評価されます。



住吉具慶筆『観桜図屏風』
観桜図屏風 作者:住吉具慶筆 時代世紀:江戸時代・17世紀 品質形状:紙本着色 寄贈者:西脇健治氏寄贈 所蔵者:東京国立博物館 https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-11157?locale=ja


住吉具慶筆『観桜図屏風』
観桜図屏風(一部) 作者:住吉具慶筆 時代世紀:江戸時代・17世紀 品質形状:紙本着色 寄贈者:西脇健治氏寄贈 所蔵者:東京国立博物館 https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-11157?locale=ja

住吉具慶筆『観桜図屏風』
観桜図屏風(一部) 作者:住吉具慶筆 時代世紀:江戸時代・17世紀 品質形状:紙本着色 寄贈者:西脇健治氏寄贈 所蔵者:東京国立博物館 https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-11157?locale=ja


住吉具慶筆『観桜図屏風』
観桜図屏風(一部) 作者:住吉具慶筆 時代世紀:江戸時代・17世紀 品質形状:紙本着色 寄贈者:西脇健治氏寄贈 所蔵者:東京国立博物館 https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-11157?locale=ja

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