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幸野楳嶺の花鳥図:楳嶺百鳥画譜

著者は、江戸時代末から明治初期の日本画家・幸野楳嶺(弘化元年(1844) ~明治28年(1895))。名は直豊、幼名は角三郎、字は思順、号は楳嶺、他に鶯夢、長安堂、青龍館、六柳北圃など多数。

幕末から明治という時代の変革期を生き、数々の優れた作品を残すと同時に、京都府画学校という日本初の近代的な美術の教育機関の設立に関わるなど、京都画壇の近代化に先鞭をつけた画家です。


弘化元年、新町四条下ルに於いて金穀貸付業を営み、市内六軒の町奉行の一であった安田四郎兵衛の第四子として生まれます。

嘉永5年、楳嶺九歳の頃、円山派・中島来章の門に入門します。この関係は、師の来章の許しを得て四条派・塩川文麟(幕末の京都を代表する絵師の一人)に入門する明治4年までの約二十年間続きます。

楳嶺の作品には、京の地に続いてきた円山四条派を受け継ぐ、写生に基づきつつも情感の漂う穏雅な花鳥画が多く見られます。





幸野楳嶺 画『楳嶺百鳥画譜』[正編]天,錦栄堂,明治14.

国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/13113939







幸野楳嶺 画『楳嶺百鳥画譜』[正編]地,錦栄堂,明治14.

国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/13113940







幸野楳嶺 画『楳嶺百鳥画譜』[正編]人,錦栄堂,明治14.

国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/13113941

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