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孤高の魂、筆と刀が織りなす玄圃瑤華の世界

  • 執筆者の写真:  JBC
    JBC
  • 2023年7月26日
  • 読了時間: 10分

更新日:1月11日




伊藤若冲自画自刻「玄圃瑤華」


江戸時代中期、京都画壇に燦然と輝く奇想の画家、伊藤若冲。その革新的な画風と卓越した技巧は、今もなお多くの人々を魅了し続けています。若冲の作品の中でも、ひときわ異彩を放つのが、自画自刻による版画作品「玄圃瑤華」です。

「玄圃瑤華」は、モノクロームの世界で描かれた、草花や野菜、昆虫たちの楽園です。生命の力強さ、そして自然の美しさが、白と黒の鮮やかなコントラストによって描き出されています。本稿では、若冲の生涯と芸術を辿り、「玄圃瑤華」の魅力を、近年の研究成果も踏まえながら多角的に考察していきます。



作品の概要


「玄圃瑤華」は、若冲が53歳の時、明和5年(1768年)に制作した、縦28.2cm、横17.8cmの全48図からなる拓版画作品です 。その名の通り、「玄圃」は中国の崑崙山上に存在するとされる仙境を、「瑤華」は玉のように美しい花を意味し 、若冲の理想とする世界観が表現されていると考えられます 。   


各図には、草花や野菜、昆虫など、身近な自然の中に存在する生命が、白と黒の対比によって力強く、そして繊細に描かれています。墨の濃淡と筆致の強弱が織りなす陰影は、まるで生命が光を浴びて輝いているかのような錯覚を覚えます。背景の黒は、無限に広がる宇宙や、深淵なる闇を思わせ、そこに浮かび上がる白い動植物は、儚くも力強い生命の輝きを放っています。


技法

「玄圃瑤華」の制作には、拓版画という、当時としては非常に珍しい技法が用いられています 。通常の版画は、版木に絵柄を陽刻しますが、拓版画は陰刻し、そこに紙を押し当てて墨を塗ることで、凹んだ部分が白く残り、黒い絵柄が浮かび上がるようにする技法です 。   


若冲は、この拓版画を自ら描き、自ら彫るという、自画自刻によって「玄圃瑤華」を制作しました 。 これは、若冲の徹底したこだわりと、作品に対する強い思い入れを示していると言えるでしょう。自らの一刀一刀が、生命を彫り出し、理想郷を創り上げていく。画家として、そして職人としての魂が、この作品に込められているかのようです 。   


構成

「玄圃瑤華」は、全48図からなる作品群で、各図に草花や野菜、昆虫などが、まるで一つの生命体であるかのように、有機的に配置されています。

図柄

動植物の種類(学名)

配置

表現方法

朝顔・未央柳

アサガオ(Ipomoea nil)、ビョウヤナギ(Hypericum chinense)、ツマグロヒョウモン(Argyreus hyperbius)など

朝顔と未央柳が絡み合い、蝶が舞う様子

朝顔の蔓が画面全体を覆い、その中でビョウヤナギが花を咲かせ、ツマグロヒョウモンが羽を休めている。

山萩・枝垂柳

ヤマハギ(Lespedeza bicolor)、シダレヤナギ(Salix babylonica)、スズメ(Passer montanus)など

山萩と枝垂柳が重なり合い、スズメが枝にとまる様子

ヤマハギとシダレヤナギが互いの枝を交差させ、そこにスズメがとまっている。

石竹・梅花藻

セキチク(Dianthus chinensis)、バイカモ(Ranunculus nipponicus)、ニホンミツバチ(Apis cerana japonica)など

石竹と梅花藻が咲き乱れる中に、ニホンミツバチが飛ぶ様子

セキチクと梅花藻が群生し、その間をニホンミツバチが飛び交っている。

冬葵

フユアオイ(Malva verticillata)、カマキリ(Tenodera aridifolia

冬葵の葉にカマキリがとまっている様子

大きなフユアオイの葉に、カマキリがしっかりとつかまっている様子が描かれている。

水葵

ミズアオイ(Monochoria korsakowii)、トノサマガエル(Pelophylax nigromaculatus)など

水葵の葉の上でトノサマガエルが休む様子

水面に浮かぶ水葵の葉の上で、トノサマガエルが休んでいる。

糸瓜

ヘチマ(Luffa aegyptiaca)、クマバチ(Xylocopa appendiculata circumvolans)など

ヘチマの実がぶら下がり、クマバチが飛ぶ様子

ヘチマの蔓が垂れ下がり、その先に実がなっている。クマバチが蜜を求めて飛んでいる。

瓢箪

ヒョウタン(Lagenaria siceraria)、キリギリス(Gampsocleis buergeri)など

瓢箪の実がなり、蔓が絡まる様子

瓢箪の蔓が絡み合い、その中に実がなっている。キリギリスが葉の上で鳴いている。

カブ(Brassica rapa)、モンシロチョウ(Pieris rapae)など

カブが地面に根を張り、葉を広げる様子

カブが力強く根を張り、葉を広げている。モンシロチョウが葉の周りを飛んでいる。

山萩

ヤマハギ(Lespedeza bicolor)、オミナエシ(Patrinia scabiosifolia)など

山萩の花が咲き乱れる様子

ヤマハギとオミナエシが、秋の野原に咲いている様子。

酸漿・天南星

ホオズキ(Physalis alkekengi)、テンナンショウ(Arisaema serratum)、ショウリョウバッタ(Acrida cinerea)など

ホオズキの実とテンナンショウの葉が対比する様子

ホオズキの赤い実とテンナンショウの大きな葉が、互いを引き立て合うように配置されている。ショウリョウバッタが葉の上にとまっている。

茄子・豇豆

ナス(Solanum melongena)、ササゲ(Vigna unguiculata)、テントウムシ(Harmonia axyridis)など

ナスとササゲの実が並んでなる様子

ナスの紫色の実とササゲの緑色の実が、並んでなっている。テントウムシが葉の上を歩いている。


これらの動植物は、若冲の鋭い観察眼によって、その特徴が的確に捉えられ、生命力あふれる姿で表現されています。




伊藤若冲の生涯と芸術


生い立ち


伊藤若冲は、正徳6年(1716年)に京都・錦小路の青物問屋「枡屋」の長男として生まれました 。家業は「枡源」の屋号で繁盛しており、若冲は裕福な家庭で育ちました 。   


幼い頃から絵を描くことに興味を示し、10代半ばで狩野派の大岡春卜に師事したとされています 。   


若冲、家業を継ぐ


23歳の時、父の死去に伴い家督を継ぎ、4代目枡屋源左衛門を襲名します 。 しかし、若冲は商売よりも絵画に熱中し、家業を放棄して2年間丹波の山奥に隠棲したこともあったと伝えられています 。   


画業への転向


40歳で弟に家業を譲り、画業に専念する道を選びました 。 隠居後は、裕福な環境を活かし、高価な岩絵具などを惜しみなく使い、様々な技法を試しながら、独自の画風を確立していきました 。   


画風の特徴


若冲の画風は、写実性と装飾性を兼ね備えた、極めて個性的なものです。

  • 対象の緻密な描写:若冲は、対象を徹底的に観察し、細部まで緻密に描写しました。例えば、「動植綵絵」では、鳥の羽根の一枚一枚、魚の鱗一枚一枚まで、丁寧に描き込まれています 。   

  • 大胆な構図:若冲は、伝統的な絵画の構図にとらわれず、斬新で大胆な構図を数多く生み出しました。「玄圃瑤華」では、モチーフが画面いっぱいに配置され、その力強い生命力を感じさせます 。   

  • 鮮やかな色彩:若冲は、高価な岩絵具をふんだんに用い、鮮やかな色彩表現を追求しました。「動植綵絵」はその代表例であり、色彩の美しさは見る者を圧倒します 。   

  • 革新的な技法:若冲は、伝統的な技法にとらわれず、西洋画の技法や、西陣織の下絵からヒントを得た「桝目描き」など、様々な技法を開発しました 。「玄圃瑤華」で用いられた拓版画も、その革新性を示す好例です 。   


他の作品との比較


若冲と同時代の画家としては、写実的な画風で知られる円山応挙、文人画家の池大雅、俳諧と絵画を融合させた与謝蕪村などが挙げられます。

若冲の作品は、これらの画家たちの作品とは一線を画す、独特の個性を放っています。写実性と装飾性を融合させ、大胆な構図と鮮やかな色彩、そして革新的な技法によって、他に類を見ない独自の世界を創造しました 。   

例えば、円山応挙は写生を重視し、写実的な表現で自然を描写しましたが、若冲は写実性を基盤としながらも、そこに装飾性や象徴性、さらにはユーモアや遊び心といった要素を加えることで、より自由で独創的な表現を追求しました。

池大雅や与謝蕪村は、中国の文人画の影響を受け、水墨画や淡彩画を得意としましたが、若冲は、琳派の装飾性や西洋画の遠近法など、様々な要素を吸収しながら、日本的な美意識と独自の感性を融合させた、他に類を見ない画風を確立しました。

「玄圃瑤華」は、若冲の他の作品、例えば「動植綵絵」のような華やかな色彩表現とは対照的に、白と黒のモノクロームの世界で、動植物の生命力と自然の美しさを表現した作品です 。 それは、若冲の芸術における重要な転換期を示すものであり、その後の水墨画作品にも大きな影響を与えたと考えられます。   


思想・宗教観・自然観


若冲は、禅宗に深く帰依し、特に「草木国土悉皆成仏」という思想に共鳴していました 。この思想は、草木や土石など、あらゆるものが仏性を持つというもので、若冲の自然観に大きな影響を与えたと考えられます。   


若冲の作品には、動植物が生き生きと描かれており、その細部まで丁寧に表現されています。これは、若冲が、あらゆる生命に対する畏敬の念を抱いていたことを示していると言えるでしょう 。   


画号「若冲」の由来


若冲の画号「若冲」は、禅の師であった相国寺の禅僧・大典顕常あるいは月海元照(売茶翁)から与えられたと推定される居士号であり、『老子』45章の「大盈若沖(沖は「虚しい、空っぽ」の意、冲は沖の俗字)」から採られたと言われています 。 意味は「大いに充実しているものは、空っぽのようにみえる」であり、若冲の人物像をよく表していると言えるでしょう。   


晩年


晩年も若冲は創作意欲を失うことなく、「象と鯨図屏風」のような大作にも挑戦しました 。 1800年(寛政12年)、85歳でその生涯を閉じました 。   





玄圃瑤華の解釈と評価


象徴性と寓意


「玄圃瑤華」は、若冲の理想郷を描いた作品であると同時に、生命の力強さ、自然の美しさ、そして仏教思想を象徴する作品とも言えます。

白と黒の対比は、陰陽思想や、生と死、光と闇といった、相反するものの共存を暗示しているとも解釈できます 。また、草花や野菜、昆虫など、様々な動植物が描かれていることは、生命の多様性や、自然界の調和を表現しているとも考えられます。   


美術史における位置付けと後世への影響


「玄圃瑤華」は、若冲の代表作の一つとして、日本の美術史に重要な位置を占めています。

拓版画という技法を用いた、白と黒のモノクロームの世界は、若冲の革新性と芸術性の高さを示すものであり、後の琳派の画家、酒井抱一にも影響を与えました 。   


「玄圃瑤華」は、日本の版画史においても特筆すべき作品です。 従来の浮世絵版画とは異なり、多色刷りではなく、白と黒のみで表現されています。 これは、若冲が、色彩に頼ることなく、墨の濃淡や筆致の強弱によって、対象の質感や量感、そして生命力までも表現できる、高い技術力を持っていたことを示しています。 また、大胆な構図や、西洋絵画の技法を取り入れた表現など、若冲の先進的な試みは、後の日本の版画にも大きな影響を与えたと考えられます。


近年の研究成果と新たな視点


近年、若冲の作品は、国内外で再評価が進み、展覧会も数多く開催されています。

「玄圃瑤華」についても、そのデザイン性の高さや、西洋美術との関連性など、新たな視点からの研究が行われています 。   例えば、近年注目されているのは、「玄圃瑤華」と西洋の博物画との関連性です。 若冲は、西洋の博物画から、動植物の正確な描写や、構図の構成など、多くの影響を受けていたと考えられています。 しかし、若冲は単に西洋の博物画を模倣するのではなく、そこに日本的な美意識や、禅の思想などを融合させることで、独自の表現を生み出しました。



伊藤若冲は、江戸時代中期に活躍した、日本を代表する画家の一人です。

「玄圃瑤華」は、若冲の革新的な画風と卓越した技巧、そして深い思想性を示す、重要な作品です。

本稿では、「玄圃瑤華」の作品概要、若冲の生涯と芸術、そして作品の解釈と評価について考察しました。


「玄圃瑤華」は、若冲の代表作である「動植綵絵」のような華やかな色彩表現とは対照的に、白と黒のモノクロームの世界で、動植物の生命力と自然の美しさを表現した作品です。 それは、若冲の芸術における重要な転換期を示すものであり、その後の作品にも大きな影響を与えたと考えられます。

例えば、「動植綵絵」の後、若冲は水墨画や淡彩画など、モノクロームの作品を多く制作しました。 これらの作品には、「玄圃瑤華」で培われた、墨の濃淡や筆致の強弱による表現技法が活かされていると考えられます。 また、「玄圃瑤華」で表現された、生命に対する畏敬の念や、自然との一体感といった思想は、若冲の晩年の作品にも一貫して見られるテーマであり、彼の芸術観の根幹をなすものであったと言えるでしょう 。   


若冲の作品は、時代を超えて多くの人々を魅了し続けています。今後も、新たな視点からの研究や解釈が生まれ、その魅力がさらに深く理解されていくことでしょう。





作者   伊藤若冲自画自刻

時代   江戸時代・明和5年(1768)

形状   紙本拓版

所蔵者  東京国立博物館


植物名表記  掲載先に準ずる






出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)






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