幕臣・貴志忠美(寛政12年(1800)~安政4年(1857年))は、
大御番や御目付を経て駿府(現・静岡)町奉行になりました。
号は、竹園・朝暾。
竹園草木誌(忠美著『朝暾集』の第8冊)には、外来植物に関する記録が多くあり、特に「弘化3年(1846年)にオランダより贈呈された器物の箱に、詰め物として枯草が使われていた。それに着いていた種子を蒔いたら、ウマゴヤシに似た葉の見慣れない白花が咲いた」という記述は、現在のクローバーの渡来事情と和名シロツメクサ(白詰草)の由来を伝えています。
幕臣・貴志忠美(寛政12年(1800)~安政4年(1857年))は、
大御番や御目付を経て駿府(現・静岡)町奉行になりました。
号は、竹園・朝暾。
竹園草木誌(忠美著『朝暾集』の第8冊)には、外来植物に関する記録が多くあり、特に「弘化3年(1846年)にオランダより贈呈された器物の箱に、詰め物として枯草が使われていた。それに着いていた種子を蒔いたら、ウマゴヤシに似た葉の見慣れない白花が咲いた」という記述は、現在のクローバーの渡来事情と和名シロツメクサ(白詰草)の由来を伝えています。